色褪せない記憶

小学生の頃、夏休みに連れて行ってもらった清水エスパルスのホーム、日本平スタジアムの景色を今でも鮮明に覚えています。
今日はそんな話し。

親父の愛車にのり小学生だった私と親父の男二人旅になりますが

夏休みの真っ只中、母親にいつものように麦わら帽子と水筒を渡され助手席にのり家を出て静岡に向かいます。道中、静岡だったと思いますが海水浴に寄り海の家で親父と二人でカキ氷を食べたのを覚えています。
無口な親父でしたが二人きりの時はよく私のJリーグの話に付き合ってくれました。小学生の頃からJリーグ以外に興味のない鼻垂れ小僧でしたが、あの時はなぜサッカーを見に行く道中、海水浴に行ったのか覚えてもいません。おそらくフリーのデザイナーだった親父がなかなか息子との時間を作れていなかった事に対しての気遣いだったのかもしれません。
海水浴場をでてからの記憶は、遠い昔なのであまり覚えていませんが
、当時アジアの大砲高木琢也が大好きで、今ではもう目にしないカテゴリー1のタグがついた紫色のサンフレッチェのマスコットが刺繍された帽子をスタジアムで買ってもらった事は今でも覚えています。
昔は小学生みんなあれかぶってませんでした?だいたい緑のヴェルディか青のマリノスをかぶってましたよね^_^

今では鹿島を愛する鹿サポですが当時は地上波で放送されたチャンピオンシップなどの影響から広島を好きでよく試合に連れてけとおねだりをしていたのも今では懐かし思い出です。
当時のサンフレッチェはキーパー前川、アジアの大砲高木琢也サイドバックは柳本とハウストラ、そんなメンバーだったと思いますが一時期の黄金時代からやや落ち気味の頃だったと思いますが。

さて、試合の方ですが、チケットは母親が用意してくれました。ですがなんとホーム側のバックスタンド、エスパルスの大サポーターのすぐ横のコーナー付近の席でした。清水エスパルスのオレンジのファンしかいないエリアで紫の帽子をかぶった親子二人。。。
よく無事だったなと今考えるだけで冷や汗がでますが、試合は清水の圧勝だったので無事に帰れたのでしょう;^_^A
まぁ当時はまだサポーターが今のようなスタイルではなかったし、指定席だった事が幸いしたのでしょうね。
満員の日本平スタジアムで初めて見る清水のサンバ、1-3くらいのスコアでガッカリした悲しい記憶よりも

試合が終わった後、親父と二人階段を登りスタジアムのコンコースから見えた富士山と夕日の美しさ

あれは今でも鮮明に覚えています。

私の中の絶景ベスト10です。
緑のピッチを見下ろし振り返るとそこには富士と夕日。
そこで感じたスタジアムの独特な匂い。
※野球場でも感じますがアルコールやジャンクフードの匂いに近いですね

あの時感じたスタジアムの劇場感と美しい景色、試合が終わってほしくないあの気持ちは今でもスタジアムに向かう道中記憶が蘇ります。

あの頃のような景色を見たいから、次の世代に見せてやりたいから

きっと私はスタジアムに通い続けていると思います。